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 ぶらり歩き   
 35. 石見銀山を訪ねて (1)   平成26年5月2日
 昨日は、日本の温泉の名でも最古の歴史をもつ玉造温泉に一泊する。さすがに出雲風土記(733年)に、「ひとたび濯げば形容端正しく、再び 浴すれば万の病ことごとに除こる」と記述されているとおり、肌触りの良い名湯を実感する。主成分はナトリウム、カルシウム、硫酸塩、塩化物ということである。

 今日見物する世界遺産に指定されている石見銀山は車の乗り入れが制限されていると聞き、出発前に観光案内所に駐車場の位置等を電話で確認すると、石見銀山資料館の駐車場が空いていれば駐車可能と言われ、まずは資料館を目指すことにする。1時間30分ほどで到着すると、運よく数台分の空きがあり、駐車スペースを確保することができた。ここからは徒歩で見物する。

 資料館は石見銀山を支配した大森代官所の跡地(写真1)を利用して建っている。資料館の建物は明治35年(1902年)に建てられた邇摩(にま)郡役所をそのまま利用している。なお、文化12年(1815年)に建築された表門と門長屋(写真1)は国の史跡に指定されている。資料館には、銀鉱石の採掘に用いた道具類、採掘技術の変遷、銀山管理、交易に係る書類、鉱物標本などが展示され、石見銀山の約400年にわたる歩みを知ることができる。当時の石見銀山の規模、管理する役人、商人、技術者、職人、人足等の屋敷、住宅地の広がりから、人口20万人の一大集落を形成していたことも一目で理解できる。

 
 資料館を見学して世界遺産に指定された石見銀山の全体像を頭に叩き込み、大森地区の見物に出かける。

 その前に、資料館に隣接する城上(きがみ)神社(写真2)に立ち寄る。延喜式にも記載されている由緒ある神社で、祭神は出雲大社と同じ大国主命であり、縁結びにご利益があるという。石段を登り境内に入ると、文化 9年(1812年) に再建された威圧感を与える重々しい2層構造の拝殿(写真3)が建っている。 この拝殿は江戸の亀戸天満宮を手本とした入母屋造り瓦葺きの建物と言われ、島根県の有形文化財に指定されているが、現在では珍しい形式の拝殿ではないかと思う。


 拝殿には、徳川家康に仕えて鉱山開発、管理に希代の能力を発揮し、石見銀山の奉行も務めた大久保長安ゆかりの能面3面が飾られているという。拝殿内部を覗くと、右側の部屋の長押に能面とは言えない大きなお面が6面飾られているが、能面らしいものは確認できなかった。


 しかし、上を見上げると格子状の天井一面に極彩色の絵画が描かれているのに、驚かされる。中央の天井には文化15年(1818年)に三瓶山(さんべさん)麓の絵師梶谷円林斉守休(かじたにえんりんさいもりやす)が描いた鳴き竜(写真4)を見ることができる。 絵の真下に立って手をたたくと、天井がリンリンと鳴り響き、龍が鳴いているように聞こえるといわれている。また、左右の格子の升目には家紋が描かれている。
    

写真1 石見銀山 大森代官所跡

写真2 城上神社

写真3 城上神社 拝殿 

写真4 城上神社 拝殿天井

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